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東京高等裁判所 昭和55年(ツ)57号 判決

上告人

名執昭治

右訴訟代理人

寺島勝洋

被上告人

平島忠雄

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告理由について

被上告人の父平島多六に対する甲府市善光寺町板境山三二〇三番の土地の売買処分が法律上は本件(二)の土地について売渡の効力を生じないものであるとしても、民法一八五条にいう新権原となるべき法律行為、行政処分等は必ずしも法律上有効なものであることまでを要するものではないから、売渡処分に先き立つ現地調査において、地区農地委員の立会のもとに、杭等によつて本件(二)の土地を含めて売渡土地の範囲が指示され、売渡処分を受けた多六も、本件(二)の土地が売渡土地に含まれているものとしてその占有を続けたなど原判示の事実関係のもとにおいては、多六、本件(二)の土地についても、右売渡処分の時から右処分を新権原として更に所有の意思をもつて占有を始めたものというべきであり、結論において同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、原判決の結論に影響を及ぼさない部分を非離するに帰し、採用することができない。

よつて、民事訴訟法第四〇一条、第九五条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(小林信次 平田浩 河本誠之)

〔上告理由〕

原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかなる法令(民法第一八五条)違反がある。

一、民法第一八五条後段にいう「権原」は、占有取得原因を意味しその原因によつて占有の性質を客観的に決しようというものである。

取得原因によつて占有の性質を客観的に決しようというものであるから、取得原因が存在しなければならない。確かに、売買や贈与などの所有権の移転を目的とする法律行為には限らないであろう(昭和四六年一一月三〇日の第三小法廷判決により、相続が民法第一八五条にいう「新権原」となりうるとの見解が新たに示されている)が、少なくとも占有の取得原因と看做される法律行為がなければ占有の性質を客観的に決しようとの民法第一八五条の要請と矛盾することになる。

その意味で「法律行為によつて占有を開始するばかりでなく」「占有の性質が途中で変更して客観的・外形的に所有者としての意思に基づいてその占有がなされていると認められる場合をも(新権原)に包含するものと解するのが相当である」との判断は誤まりといわなければならない。

なお、原審は、民法第一八五条が「占有の性質の変更につき、新権原によることを要求する趣旨が、所有者に占有の性質の変更を知る機会を与えることにより、時効中断の措置を採ることを可能ならしめるなど所有者の利益を保護する点にあると解せられるからである」と判示するが疑問である。むしろ民法第一八五条が所有の意思の表示または新権原の発生を要件とするのは、従来の自主占有者に占有の変更を了知する機会を与えてその者の利益を保護することを目的とするからではなく、これらの要件事実をあらたな自主占有成立の客観的徴憑としてとらえるため(札幌地判昭四〇・九・二四訟務月報12・2・267)新権原の発生を要件とする、と考えるべきである。このことは、自主占有か否かは、時効取得の成否に影響を与えるだけではなく、占有者の責任の成否にも影響があることからも明らかであろう。

この意味で、原審は民法第一八五条の解釈を誤つている。

二、また、原審は「本件(二)の土地に対する多六の占有は、遅くとも三二〇三番の土地が多六に売渡された昭和二六年一一月一日ごろの時点において、主観的にはもとより客観的・外形的にその性質を変更した」と判示する。

客観的・外形的にその性質が変更した根拠として挙げているのは、①本件(二)の土地上の山林を伐採して開墾・耕作に専念したこと、②昭和二七年ごろには一面にぶどうを植栽したこと、③昭和三一年にはその棚掛けをしたこと、の三点である。

しかし、原審は本件(二)の土地の山林を伐採し開墾したのは、昭和二三、四年ころまでと認定し、さらに、昭和二六年一一月一日三二〇三番の土地が自創法で被控訴人の先代に売渡しになるまでの本件(二)の土地に対する占有は所有の意思に基づく占有とはいえないと明確に判示している。

かかる時期の占有形態の変更を「新権原」の判定基準の一要件に加えることは誤りである。

また、昭和三一年にぶどうの棚掛けをしたというが、これに先立つ昭和二九年に被控訴人の先代は死亡しており、死亡後の占有形態の変更をもつて生前の昭和二六年一一月一日から「新権原」により更に被控訴人の先代が所有の意思をもつて占有を始めたと認定することはあまりにも不合理である。

すると、結局は前記②の昭和二七年ころぶどう植栽したこと、のみが占有の形態が変更されたとみられる事実に過ぎなくなる。植付作物の変更が原審でいう「占有の性質が途中で変更して客観的・外形的に所有者としての意思に基づいて占有がなされていると認められる場合」に果して該当するのであろうか。多大の疑問を抱かざるをえない。

この点においても、原審は民法第一八五条の解釈を誤つたといわなければならない。

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